常楽寺の歴史

禅宗 曹洞宗

縁起 同寺は慶長元年高倉村禅宗洞家龍昌寺第六世機雲盛用が開山(当時堂庵)、常楽寺二世松岩和尚は元禄元戌辰年一村惣旦那として願済、翌二年野口次郎七(庄屋は井野口小七)は松岩和尚と図り、寺院創建のため財政的援助など開創に努力した。そこで次郎七を常楽寺の開基とした。

安永五年(一七七六)瑞龍和尚、大伽藍を再建するなど代々の和尚護寺につとめ、現寺院は明治三十九年改築したものである。

『伝記』によれば

「抑ゝヽ当時開基開山ハ福岡県遠賀郡矢矧村玉雲山隆昌禅寺第六世機雲盛用大和尚ニシテ、開基ハ当村井野口次郎七、法名開了宗鉄居士ナリ。実ハ当時二世中興松岩峴寿和尚代開創ニシテ従来堂庵ノ処開基ト忖(計)リ法地ニ取立タルモノ歟。然ルニ開山ハ前記ノ通招待セシモノナリ、爾後幾十ノ星霜ヲ経テ漸々建物破損スルニ随ヒ再中興大于瑞龍大和尚に至テ従前ニ勝レル幾倍ノ伽藍ヲ再建セラル。時ニ安永五年(一七七六)三月ナリ。尓後世代不断相継続シ今明治三九年ニ至リ既ニ壱百三十一年ヲ経過シタリ。茲ニ於イテ歳月ト共ニ破損ノ箇所漸々増加スルニ到リタリ、依テ現住職十六世的庵玄法大ナル熱心ヲ以テ檀徒ト忖(計)リ今年春ヨリ秋ニ至ル間一大修繕ヲ加ヘ殆ント改築ニ異ナザルノ壮観ヲ極メ(中略)斯ニ聊カ事実ヲ略記シ以テ序文ニ代ユト云尓、明治三十九年初穐善法曰

福岡県遠賀郡島門村瑞華山常楽寺 

前永平当山現住 的庵玄法識」

『筑陽記』瑞華山常楽寺曹洞宗龍昌寺末他院

『筑前続風土記捨遺』村内に有、以下右に同

『福岡県地理全誌』本堂横五間、入六間、寺地九畝十二歩檀家家八十八戸

山号等右に同じ、同六世盛用慶長元年丙申創立す、寺地に大師堂あり。

『遠賀町史』より